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西公園 記念碑マップ

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平野二郎國臣像

平野二郎國臣像

文政11年、福岡地行に生まれる。福岡藩では数少ない勤王の志士として尊王討幕運動を続けた。倒幕に失敗し投獄され、出獄後は生野の変を起こし敗れて京都六角の獄につながれた。元治元年(1860年)処刑、享年37才。大正4年、西公園の坂の左傍に銅像が建立され、大東亜戦争で国のため召集令により姿を消したが、昭和39年4月25日に復元された。

立帰り天満宮

立帰り天満宮

祭神は菅原道真。武蔵寺(筑紫野市)の境内にあったが、元禄年間に武蔵寺の本寺であった荒津山麓の源光院境内に移したもので、港に近く、藩船の船乗りの信仰が篤かった。明治20年(1887年)に社殿が建てられ、戦争中は出征軍人の無事帰国を念願した家族の参拝が続いた。境内には新四国札所大師堂もある。

荒津公園成立の記念碑

荒津公園成立の記念碑

西公園正面石段下の西側に明治42年9月、有志により建立。碑には公園成立から明治期における公園での出来事が記録されている。

さくら名所100選の地碑

さくら名所100選の地碑

財団法人日本さくらの会の創立25周年記念行事として、全国から特色のある優れたさくら名所100ヵ所を選定、顕彰することになり、平成2年3月3日、西公園が選定された。西公園正面石段西側のさくらの広場に銅碑が建てられた。

万葉歌碑

万葉歌碑

「神さぶる 荒津の崎に 寄する波 間なくや妹に こひわたりなむ」天平8年(736年)新羅の国に派遣された使節一行の中の土師稲足が往路に詠んだ歌で、(神々しい荒津の崎に寄せる波のように、絶え間もなく妻を恋い続けることであろう)という意味である。昭和44年3月、福岡市教育委員会が建立した。

徳富蘇峰作の詩碑

徳富蘇峰作の詩碑

大東亜戦争が始まった昭和16年春、元西鉄社長木村氏たちの奔走によって北展望台の階段の下付近に建立されていたが、現在は少し海側に移設されている。「人傑地霊 古筑前廟家台 接水城迎淡翁 佳旬吾能 誦伏敵門頭波 天拍」の詩は徳富蘇峰の作で、士気振作が建立。

吉岡友愛大佐記念碑及び日清日露戦争記念碑

吉岡友愛大佐記念碑及び日清日露戦争記念碑

日清日露戦争記念碑は明治39年官民合作の発起によって建設。吉岡友愛大佐は日露戦争中奉天で戦死。大正15年、いずれも西公園北展望台西側の丘に建立されたが、戦争のため供出。現在その旨を記す碑が置かれている。

西公園開園百年記念の碑

西公園開園百年記念の碑

西公園開園百年を記念して昭和57年2月16日、福岡筑前ライオンズクラブが花連美術国際学子会と釜山港都ライオンズクラブの協力を得て、あずまや1棟を寄贈すると共に、記念碑が建てられた。

加藤司書の歌碑

加藤司書の歌碑

福岡藩の中老席、天保元年福岡大名町生まれ。筑前勤王党の首領として活躍。海防論を唱導して、福岡藩の海面防備のため荒津山下に台場を築き、大砲を据え付けて外敵に備えた。
また、元治元年の幕府の長州追討では黒田藩の代表として参陣したが、時節の重大事をとき征長軍の解兵を主張し、戦いを止めさせた。慶応元年藩論が一変し、乙丑の変により藩は佐幕派の天下となったため切腹を命ぜられた。享年36才。
昭和4年4月12日、光雲神社裏の展望台付近に銅像が建立された。戦争中の金属応召で姿を消したが、昭和40年10月、銅像の台座の跡に司書の作である黒田節の歌詞「皇御国の武士はいかなる事をが勤むべき兄身にもてる赤心を君と親とに盡すまで」の碑が建てられた。

皇太子嘉仁親王殿、御手栽松桜

皇太子嘉仁親王殿、御手栽松桜

明治33年10月28日、皇太子嘉仁親王(大正天皇)が西公園に巡幸、荒津山公園の頂上に松・桜を植樹されたのを記念して建立された。

孫太郎稲荷神社

孫太郎稲荷神社

光雲神社の東側で西公園内にある。祭神は中司孫太郎。由緒はこの附近に多数の稲荷が点散していたのを一カ所に集めて祀ったのが始まりである。

底曳網船殉難者霊碑

底曳網船殉難者霊碑

昭和9年10月に底曳網漁業の根拠地が福岡港に定められて以後、幾多の殉難者の英霊を祀るため昭和33年10月、漁業業者、漁船員一同により建立された。碑文は当時の市長、奥村茂敏の書による。

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